お茶と共に歩んできた、野口熊太郎茶園の歴史。
当店は、猿島の地において代々製茶業を営んでまいりました。
明治7年の創業以来100年以上、5代に渡り培われてきた伝統の味と技を大切に守りながら、
さらに21世紀へ向け、新しいお茶文化の創造に力を注いでまいります。
野口熊太郎茶園のあゆみ
明治後期の猿島郡境町地図(クリックで拡大)
野口家のお茶に関わる歴史は、寛永年間(約380年前)に遡ります。
もともと猿島郡一体で、関宿城により茶の栽培が奨励されており、特に野口家本家がある一の谷では沼地があり、そこに自生するマコモを肥料として蒔くことで、旨みのある素晴らしいお茶になったといいます。
野口家も時代とともに分家が出来、三つの屋号に分かれました。唯一その当時から引き継がれたのが弊社の屋号「やまの」です。
江戸時代末期に一の谷から分家した野口佐五蔵は、蓮地(今の境町山神町)に移転し、この地で茶をはじめとする農業を始めました。
佐五蔵はやがて結婚し、1863年に息子が生まれ、熊太郎と命名しました。
昭和27年頃撮影
 
幼いころから事業意欲のあった初代熊太郎が、明治7年、若干十一歳で製茶営業開始。
手揉み製茶を扱うようになりました。主な納品先は東京日本橋浜町の岡安商店、千葉県銚子市浜町林園、古河市大半商店など、各地へ移出し関東一円に手揉み茶を卸し、年々拡大していきます。取扱量は約3万貫(112,500kg)。
時代は昭和になり、二代目松太郎はいち早く手揉み製茶から機械製茶へ移行。陸軍省にも毎年10万貫(375,000kg)収めていました。
そして製茶問屋業としてさらなる成功を収め、「仁徳を以て商売せよ」と息子に徳太郎と名づけました。
第二次世界大戦後、静岡市神明町83番地日本茶業株式会社を基点として貿易が盛んになり、海外へお茶を輸出するようになりました。
昭和24年頃から昭和30年頃まで年間100万kg位取り扱い、商売をさらに盛んにと、息子に盛太郎と名づけました。
昭和30年以降、四代目盛太郎は国内販売に力を入れて、関東はもちろんの事静岡産地他、関西、山陰、九州にも出荷し、ピーク時には20万kgを取り扱いました。そして継続してお茶を取り扱い続け、21世紀に入り環境問題や健康ブームが起こる中、お茶自体をまるごと摂取するという「飲むことから食べること」へ注目。
2001年10月に茶の種子緑茶を販売開始し、その後、2002年9月に茶の種子玄米茶発売2004年10月に茶の種子ほうじ茶が発売され、累計集荷数10万本を達成します。

今活躍しているのは、五代目の富太郎。新たなお茶文化の価値を見出すべく、バイタリティ溢れる発想で、伝統を重んじる茶業界に一石を投じ続けます!1969年1月12日生まれ。大学卒業後、静岡で製茶加工の修行、東京高円寺では販売のノウハウを学び、茶業界にデビュー。ここ十年は種子茶の研究開発に没頭し、脚光を浴び始めています。

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  • ●全国茶商工業協同組合連合会認定 茶専門経営士 茶匠
  • ●台湾烏龍茶インストラクター
  • ■経営目的は「お茶を通じて全人類の健康のお手伝いをさせて頂くこと」

現在の五代目富太郎も、日夜、西へ東へ飛び回っています。あなたの近くの街に来たら、お気軽に声をお掛けください。

 
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お知らせ
  • 2012/12/19
    「濃厚くちどけ生茶チョコ 茶の実トリュフ」販売開始
  • 2012/09/25
    日本茶カフェが正式オープンしました。
  • 2012/09/09
    ホームページをリニューアルしました。
  • 2012/09/05
    木村製茶「国産ウーロン茶いずみ」店頭限定で販売開始
  • 2012/09/05
    吉田茶園「IZUMI BLACK&GREENTEA」店頭限定で販売開始
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